なぜ,勉強するのか
先日ある講演会の中で聴いた話。
「なぜ,勉強するのか」,という問いに対して,映画監督の山田洋次氏は
自由になるため
と答えている,とのことだ。で,ここでいう自由ということに関して,
自由になるとは,人の意見に左右されず,主体的に考え,判断する力を身につけることである。与えられた自由<フリーダム>ではなく,獲得した自由<フリーダム>のために学問せよ。
と述べている,と。
うーむ,要するに「勉強 is freedom」ということかぁ...,とおちゃらけてはいけない。今回は。
世の中,情報があふれている。その中で,何が正しくて何が自分に必要か,判断は自分で行わなければならない。学校で「調べ学習」といったって,単に知識の獲得だけぢゃ意味がない。そこから自分が何を得るのか,が大切だ。よく言ったもので,「知識は有るが知恵が無い」人,そういう人は真に「勉強した」ってことぢゃないんだな,ってこと。知識はあくまでベースであって,それをいかに使いこなせるかが真の勉強だ,ということなんだろう。
こういう駄文から何を学び取れるか...。
ぁっ! ここの表現おかしいぢゃん!!
ま,そういう情報源でもいいわけだ。何を学び取るかは自由だぁ...! やっぱりこういう路線で落ち着くんだな。
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